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幻のジャガイモ 治助とは?

幻のジャガイモ「治助」とは?

「治助」は、奥多摩でのみ栽培されているジャガイモの品種です。

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「治助」の歴史と名前の由来

 

・長崎県 → 山梨県へ
16世紀末、天明の飢饉に見舞われる中、甲府代官・中井清太夫が、幕府の許可を得て長崎に伝わったジャガイモの種芋を取り寄せ、地域の飢饉を救ったと言われている。なお清太夫は“芋大明神”として今も祀られている。

・山梨県 → 檜原村
西多摩地区に伝わったのは、檜原村。檜原村には、現在も「おいねのつる芋」という名で残っているが、この「つる」は蔓ではなく、山梨県の都留市から来ているそうで、昔から檜原村は都留市と交流が深く、嫁入りも多く、『おいね』さんという人が、嫁入りの際に檜原村に持ち込んだと言われる。

・檜原村 → 奥多摩町
治助というお爺さんが檜原村から種芋を持ち帰ったのがきっかけで、奥多摩地域に広まったので、「治助芋」と呼ばれるようになった。先祖代々受け継がれて来たが、他の地域では、男爵芋などにおされて姿を消した。長年、現存しないと思われてきたが、峰谷集落で発見。急斜面で砂利の多いさかっぱたけは、他の作物の生育が悪く、今まで残っていた。

 

「治助」の特徴

 

・日本における最初のジャガイモ
「治助」はジャガイモが日本に初めて伝わった当時(江戸時代)の品種と言われています。

・原種の遺伝子に極めて近い
遺伝子検査をした結果、その遺伝子はジャガイモの原種(アンデス原産)に非常に近かった。

・病気に強く、やせた土地でも育つ
病気になりにくく、また他の作物では生育が悪い急斜面で砂利の多い奥多摩の畑(地元の言葉で「さかっぱたけ」という)でも育つ。
斜面の畑は、水はけ良く余分な水が滞る事がないので、質がいい芋ができた。
奥多摩ならではの気候風土が、治助にとっては最高の環境であり、これが今日まで生き残っていた大きな理由。

 

奥多摩でしか食べられない

 

・生産量が非常に少ない希少品種
治助は、男爵やメークインなどと比べると、1株あたりの収穫量が非常に少ない品種。
※男爵芋の場合、種芋から10倍の大きさになるが、治助芋は6倍ほどにしか肥大しない。

・市場への流通がほとんどない
地域の農家の高齢化や、収穫量が多く望めない品種であることなどから、生産者が非常に少なく、一般に流通・販売はほとんどされていません。

・味が濃く、奥多摩では昔から独自の食べ方
形はメークインに似ているが、大きさは小粒。その分、味が濃縮されて美味しい。
煮崩れしない品種なので、奥多摩では昔から煮っころがしやネギ味噌で和えて食べていた。

・TVでも取り上げられ、いま世の中からも注目のブランド芋
治助が奥多摩で発見されて以降、最近は日本テレビ『DASH村』、NHK『キッチンが走る』などTVでも取り上げられ、現在は奥多摩町の「ブランド芋」として新たな特産品にするべく町で商標登録しており、種芋は厳重に管理されています。

 

カフェクアラは治助芋を自家栽培しています

 

カフェクアラでは、現在「治助」のブランド認知を広め、生産量の増加を図ることを目指して、奥多摩町内の畑でスタッフ自らが栽培し、安全・安心な治助の提供に取り組んでいます。

治助芋の植え付けイベントの様子は→こちらの記事
治助芋の生育日記はこちら⇒cafekualaのfacebookページ

ぜひ、奥多摩に来た際は、この幻のジャガイモ「治助」を一度ご賞味下さい!

 

治助芋の野菜カレー 1000円

 

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たっぷりのニンジンと数種類の野菜をじっくり炒め、10種類のスパイスを独自に調合して
作った、野菜の甘みと旨味がたっぷりのオリジナルカレーに、奥多摩のさかっぱたけで
育った「治助芋」の素揚げをトッピング。

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